2007.07.28 生き方療法 第ニ法則ノイローゼからの脱出 メンタルへルス友の会 G生き方療法の第2法則は、正しい生き方とは、因果の道理に基づいて生きることである。(人のせいにしない)です。 因果の因というのは行為のことで、果というのはその行為が引き起こす結果(自分の受ける運命)のことです。従って、因果の道理とは、行ないをすれば、必ず結果が生じるということです。平たい言葉で言えば、蒔いた因は生える。蒔かぬ因は生えぬということです。そして、その原因と結果の間には三つの法則が成り立っています。 それは、善因善果・悪因悪果・自因自果です。善因善果とは、善い行いをすれば善い運命が返ってくるということで、悪因悪果とは、悪い行いをすれば悪い運命が返ってくるということです。 そして自因自果とは、自分やった行いが全部、自分に返ってくるということです。これは自業自得とも言います。自業自得の業とはインドの古い言葉サンスクリットでカルマといいます。それを中国の人が業と訳しました。これを日本の言葉に直すと行為ということです。 ですから、自業自得というのも自分のやった行いが自分に返ってくるのだということです。これを譬えていえば、ナスビのタネを蒔けばナスビが生えてくるということです。ナスビの種を蒔いてキュウリが生えてくるということはありません。 つまり善い因を蒔けば善い結果が返ってくるのであって、善い因まきをして悪い結果が返ってくるということは千に一つ万に一つも無いということです。 また、キュウリのタネを蒔けばキュウリが生えてきます。キュウリの種を蒔いてナスビが生えてくるということはありません。つまり、悪い因まきをすれば、悪い結果が返ってくるのであって、悪い因を蒔いて善い結果が返ってくるということは千に一つ万に一つもないということです。 しかも、善い因まきも悪い因まきも、全て自分の蒔いた因まきが自分に返ってくるのです。つまり、自分が一生懸命勉強すれば自分の成績が上がります。自分が勉強をして、何にも勉強をしない隣の子の成績が上がったりはしません。 また、自分が酒を飲んで車を運転すれば、事故を起こすのは自分です。自分が酒を飲んで車を運転したら、突然、しらふの隣のおじさんが事故を起こしたということはありません。 私が、犯罪を犯せば、捕まるのは私であって、あなたではありません。それを、私が盗みを働いたのに、いきなりあなたが捕まえられたら、あなたは「私は何もやっていない」と言って怒るでしょう。自分のやっていないことの結果を負わされたら、怒るのが当たり前です。それは、道理に外れている。つまり、因果の道理に合わないからです。 この三法則は、いかなる場合においても狂うことはありません。 ところが、人間は、時として、この因果の道理に反したことを思ったりします。 善いことをして、なかなか善い結果が現れないと「こんなに善い種まきをしているのにちっとも善い結果が返ってこない」と善因善果を疑います。 悪い結果がやって来た時には、「俺はこんな結果を受けるような悪い種まきはした覚えはない」と言って悪因悪果に文句を言います。 また、自分の受けた悪い結果を他人のせいにして、あいつのせいでこうなった。と自因自果を無視して他人を恨みます。 それを「愚痴の心」と言います。 愚痴というのは、愚というのもおろかという字なら、痴も知恵が病垂れの中に入っています。病垂れというのは、病院ということですから、知恵が病院に入院しているということで、これも馬鹿ということです。 つまり、因果の道理を撥ね付ける心ほど愚かな心はないということです。この愚痴の心の為に、私達は人を恨みます。親を恨み、子供を恨み、友達を恨み、妻や夫を恨み、社会を恨みます。 私がこんなに苦しいのは、あいつのせいだ、こいつのせいだといって周り中の人を恨み呪って苦しむのです。そして、ノイローゼ(神経症)が悪化してゆきます。しかし、その考えは、間違いです。 貴方の苦しみは、誰が与えたものでもありません。皆、自分の蒔いた種まきによって生じてきたものなのです。それを反省せずに、周囲を恨んでいれば、縄を恨む泥棒になります。泥棒が縄に縛られて苦しまなければならないのは、自分が盗みを働いたからです。 その自分の種まきを忘れて、泥棒が自分を縛っている縄を恨んでいるとするならば、それはばか者です。 しかし、私達も同じです。自分の種まきを反省せず。周囲のことばかり恨んでいれば、縄を恨む泥棒と同じになってしまいます。 それでは、苦しみが増すばかりで、少しも楽になりませんし、一切の進歩向上がなくなります。ノイローゼ(神経症)も楽にはなりません。 因果の道理を知って、自分の種まきを冷静に 反省できるようになれば、気持ちはスーッと楽になります。 この因果の道理を心に留めて生活をしてみて下さい。 Comment Post |


